Tag Archives: おでん

おでんの古き良き時代の風流

最近はコンビニで、お手軽におでんを買えるようになったが、一前昔のおでんはどうだったのか?とふと気になった。
すぐに思い浮かんだのが屋台である。
室内ではないので当然ながら暖房は効いていない、だが冬の寒空の中ならではの熱いおでんを口に含む瞬間の美味しさは暖房の効いた室内では味わうことは決して出来ないであろう。
特に夜の静寂の中であれば湯気がより一層視覚的にハッキリして、さらにおでんのツユの香りも全体的に広がりながら迫ってくるに違いない。
そう言えば屋台も最近では減ってきてしまったな。

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吸盤のコリコリ噛みごたえの蛸(タコ)

丸い吸盤のついた脚がプカプカと浮いている。
真っ赤に煮立ったそれは、蛸(タコ)であり思わずアンタもおでん界に仲間入りかい!と口から気持ちが出そうなる。
とは言うものの、こいつも豆腐と同じく、余りメニューの多くない部類なので大目に見てやりたい心境である。
そして、世界で食べられている蛸の半数以上が日本で食べられていると言う、この辺りは寿司やタコ焼きや酢ものと言ったところであろう。
なるほど、煮立ったその脚は辛子でもつければ、旨いであろう。
特に吸盤のコリコリ噛みごたえは蛸の煮物料理ならではであろう。

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味の染み込む事のないタイプである豆腐(とうふ)

そこには白き、そして四角立方体の物、豆腐(とうふ)があった。
多くの食材の中でも豆腐は比較的、出番というものが限られている食材だ。
だから先ほどの白滝との組み合わせは、すき焼きじゃん?おでんじゃないじゃん?なんて野暮な感情はそれほどではない。もちろん、さっきの肉じゃが被りも合わせてそう突っ込みたくもなるが。
さてさて、この健康食の代名詞とも言えちゃうこの代物、すき焼き、麻婆豆腐、冷奴として今までとっても美味しく頂いてきたのだが、こと「おでんとして」は未だに未知なる食感である。
おでんのツユに豆腐、何ともシンプルな組み合わせがそこにある。
その味の染み込むことの無い性質状から、おでんとして如何ようなる味を醸し出してくれるのかはお楽しみである。

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煮込み料理に良く使われるスジ肉

おでん鍋にスジ肉が浮かんでいる。
魚類の肉が多いおでんの世界の中で動物類の肉として堂々たる君臨をしているのがスジ肉である。
もっともスジ肉自体がその性質上、こう言ったおでん等の鍋料理やカレーなど良く煮込む料理がほとんどだが、それはそれで良いものだ。
先ほどのジャガイモといい、人参といい、まさに肉ジャガと被って、おでんで食べても、おでん特有の味とまではいかない。
最近では草食男子という言葉が流行っているが、物理的にはむしろ野菜不足の肉食である。
自分でも、おでんのスジ肉を見て、まさか草食男子という、言葉が浮かんでくるとは思わなかった。

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北海道の大地ですくすく育ったジャガイモ(馬鈴薯 (ばれいしょ))

ごろりとゴツい固まりが目に飛び込んできた。
よく見慣れた食べ物、ジャガイモ(馬鈴薯 (ばれいしょ))である、オマエはおでんまで入っているのか!
と喉から驚きが出そうであった。
とある時はスナック菓子、とある時はサラダ、とある時はコロッケ等など、万能的な具材なのである。万能性だけではなく保存も比較的利くので便利この上無い。
そして、口の中で噛み砕くと同時に広々とした北海道の大地ですくすく育った薫りが舌の上で散らばっていく。
ただまあ、あれだ他の定番の具材と比べたら大分おでんとの相性力劣る。
この辺は専門性が薄れるという、万能性が故の代償と言うべきか。

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甘くスイーツに近い人参(にんじん)

控え目で地味な色合いの具材達の中で明るく目立つ具材が目に映る。
それが人参(にんじん)であった。
暖色が冴えているのに加えて、口の中に入れば、ほんのりした甘さが広がるのは容易に頭に浮かぶ。
よくよく考えて見ると、おでんの具材の中では、結構な変わり者ではある。
鮮やかという意味では色合いが良く、おでんに人参があるかないかでは色彩的な雰囲気が違ってくる、最近流行りのスイーツ系にも良く合っている。
おでん鍋で煮立っている事による漂いによる甘い薫りに触れていると、一種のデザートに近いような錯覚をした。

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筍(たけのこ)と時の流れ

さらに目を移動させたら、筍が見えた。
筍は時の流れとの関連が濃い、時期的な要素がある具材だ。
その豊富なビタミンからは大地の恵みを感じとれる。
大地の恵みでありながら、採りたてなら刺身にだって出来るという、海の幸のようなところも持ち合わせるチャッカリ者である。
それにしても成長をしたらしたらで多くの物の材料ともなる、戦国時代であれば水筒や弓矢、一前昔であれば竹竿や定規とかが良く知られるところ、色んな意味で人類に貢献してくれている。
昨今、少子化が人類は竹の繁殖力も見習うべきであろう。

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何とも肉厚な傘を誇る椎茸(しいたけ)

目に映る限り、やはりキノコたる傘は健在で、しかも割り合い的にも大きく堂々たる傘っぷりであった。
もちろん小人さんでもない限り雨は防げないが、何とも肉厚な傘である。
ツユにぐつぐつ煮立てられている時に解き放たれし芳香が鼻の粘膜を楽しませてくれ、口内に入れば芳香に似合ったホロりと苦い味が広がる。
そのダシの量の多さは傘の裏側の「ひだ」に満遍なく入りんでいるからである、「ひだ」がある限り椎茸がダシ汁吸収王者の座は鉄壁であろう。

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鳴門(なると)の渦による催眠術

ギザギザの外枠の見える断面は見れば見るほど歯車に見えてきて、さらに真ん中に渦巻きまで描かれていた日には、まるで催眠術のような錯覚すら感じてしまう。
そう目が回りそうでいると、隣のオバサンは、ひょいと摘まんで発泡スチロールの容器に放り込んでいる。
鳴門(なると)って奴は、おでんと言うよりは拉麺での方がお馴染みではあるが、拉麺のスープの味の濃さ故に鳴門をダシとしての味は楽しみにくいであろう。そう、初めて鳴門を皿に盛った時のツユの味は、舌が感じた味覚とともに脳にしっかりとインプットされている。

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レンズに桃色の渦巻きが映し出される

そんなこんなで気づいたら、隣でおでんの鍋を覗くオバサンいる、湯気で薄く曇った紫渕の眼鏡のレンズには大根とコンニャクが映し出されている。
オバサンの頬の角度が三十度ばかり左上へ逸れたと思いきや、さらに曇りがかかりながら同時に桃色の渦巻きが映し出されているではないか。

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