自由への準備期間

このような自由へのリスクというものは少しでも回避したいものである。

とても大切なことがある。
『十分な根拠』が確立されているか、どうか?である。

これの準備をするのは、ただでさえ時間がかかる。
しかも、働きながらだと土日はほぼ潰れるといってよい。
でもそこは、会社という狭い場所に耐えているあいだに済ませなければならない。
いやな事が多いであろう。しかし、準備をしっかりとしていれば自由のあとのリスクもそれだけ軽減される。
ほとんど者は自由への世界は未踏の地だ。準備をしっかりしたところで、落とし穴もたくさん待ちかまえているのが現状だ。
しかし、一刻もはやく抜け出したいあまりに、ただでさえ見えづらい落とし穴なんて見えないのである。

だからこそ大海に飛び出す前の狭き井戸の中で、出来る準備だけは最低限済ませなければならない。
そして、大海でのあらゆる災いに関して調べあげて、また準備をしなければならない。

これが、自由という名のきびしい現実だ。
狭い井戸で一生を終えたくない、大海ですばらしい体験をしたい、それは是非とも行動すべきところだ。
しかしそれは光だけをみて影を見ないようでは、成し遂げられないことだ。

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自由へのリスク

共通点の二つめは、『十分な根拠』がなく、やればなんとかなると思い込んでしまう事だ。
自由を求める人は、往々にして時間に敏感である。いまこうしている間にも一秒一秒と時間は確実に経っていき年齢が過ぎていく。
とった年は戻ってはこない、若さは戻ってこない、どんどんと年をとっていく一方である。
このような考えが強いのであろう。だから焦るが故に十分な根拠がないままやってしまう。
共通点の一つめである、何もしない人に限って批判だけは多いことが、さらに拍車をかけている部分もある。

『十分な根拠』とは何だ?
それは、確実に稼げる根拠のことだ。実際にどうなるか分からない中途半端な根拠で稼げることは皆無に等しいのは当然のことだ。
とはいえ、時間に敏感になっている状態では、それが見えづらくなるものだ。
故に、とにかくやってみて、やりながら考えるのも稼げる根拠を見つけようとなってしまう。
はっきり言おう。そのようなことでは根拠を見つからないし、収入のない期間が増えるだけだ。

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働き方

脱サラという言葉がある。
好きな時に、好きなことをする。うっとおしい人間関係もなし。
簡単に出来たら、皆しているであろう。

典型的なものでいえば、飲食店の開業。
開店直後は物珍しさに、客がよくくるがリピーターになるかは別。
リピーター対策が出来てなければ、半年、一年となるにつれ売り上げはどんどん落ちてくる。
一口に脱サラといっても、業種も多種多様だ。
だが、共通していえることが二つある。

一つは、周りから散々、「無理だからやめておけ」といった批判である。
成功・失敗は問わず実際に脱サラをした人が批判してくるのなら未だわかるし説得力もある。
が、こういった批判をする人の大半は脱サラへの考えはおろか、一つの会社にずーっと留まる事に必死になっているのだ。
こういったバターンが多々あるので、「この人たちは一生それで満足していればよい、だが自分はまっぺらごめんだ、そして実際に行動をおこしてみる」と考えるようになるのである。

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働く時間

だからこそ、会社や部署でどのような場所に配属されるかが、いかに重要かが分かるであろう。
いまの時代のサラリーマン達は、大半が残業をしている。
上司や部下、同僚たちの終わってない仕事の手伝いもあれば、逆に手伝ってもらって終わらせる場合もある。
残業は二時間ぐらいが、多いであろう。たとえ残業なしでも八時間の労働時間だ。満員電車に揺られ家につくころには、すでに晩ご飯とシャワーを浴びたら、明日の朝にそなえてもう寝る時間である。それが週五日。
ここまでくれば、人生の大半を会社で過ごすといっても過言ではない。
極端なはなし、職場環境イコール人生の方程式が成り立つ。
冷静によく考えてみたら、なにも会社勤めだけに執着するのも馬鹿馬鹿しい。
毎日決まった時間に決まった電車にのって、往復の通勤時間に毎日費やす。そして、狭い場所での狭い人間関係。
やりがいが無ければ、それこそ目も当てられない状況だ。

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ビルで働く人たち

特にオフィス街のビルってのは、どれもこれも似たりよったりのばかりだが、働いている人はどうなんだろうか。
はっきり言って全然違う。
ただ、各々が全てばらけているのかとなると別となる。
正確には、会社ごとに違う、さらに分類すると部署ごとに違うのである。
まず、会社というのは社風がある。だから会社全体の社風は共通だが、具体的な雰囲気は、さらに部署ごとに違ってくる。
極端なはなし、同じ会社でも配属される部署によって、その人の会社生活はがらりと変わってくるのだ。
「朱もまじわれば赤くなる」とは良くいったもので、ピリピリとした人たちの中にいれば自分もピリピリしてくるし、穏やか人たちの中にいれば自分も穏やかになってくる。

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あのビルもこのビルも

おまけに担当者が道を間違えて、打ち合わせのスタートが10分ほど遅れてしまった。
似たり寄ったりのビルの中を急いで歩いたのだから無理もない。
よく考えてみれば、無機質な迷路のようなものだ。
あの建物も、この建物もみんな同じに見える。
では、外観だけでなく、その中はどうであろう。
玄関があり、通路があり、受付があり、階段があり、エスカレーターがあり、エレベーターがあり、非常口があり、オフィスがあり、会議室がある。
このような、基本的な仕組みはどのビルも大体が同じであろう。
働いている人達はどうなんだろうか?

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本日の打ち合わせの担当者

先方との打ち合わせの前に、担当者と待ち合わせの場所で待っていた。
時間になっても来ない。普通は5分、いや10分前に着いても良いものである。
仕方ないので電話をしてみると、駅の待ち合わせ場所に近い出口が分からないという。
人混みの中を遠くから覗き込みながら、今か今かと待っていたらようやく現れた。
時間としては、たった5分の遅刻ではあるが、長く感じられた。
その担当者と合流して先方入りであるが、何と担当者本人が5分ほど遅刻。

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トンネルに書かれていた蝶と花

トンネルに入ると壁には黄色の蝶と紫の花の落書きが大きく書かれている。
いや、丁寧にいくつも書かれているので、一種のアートのようにも思える。これを描いた人は何をどう思い描いたのだろう。
この絵を見た人に何を伝えたかったのだろうか?
蝶と花、このありふれた風景、のどかな風景ともいえよう。そう、のどかな風景ではあるが描かれている場所が薄暗いトンネルの中という点がまたミスマッチである。
それとも、このような薄暗いトンネルの中だからこそ、何か明るいものを描いて和ませようとしたのだろうか。
表現として、俺はこの薄暗い空間に和みのイメージを提供してるぜ!とでも思ったていたのだろうか。
そもそも、いつ描かれたのだろうか。
可能性としては、人通りの少ない深夜が考えられる。
しかも、トンネル空間という少しばかり変わった空間だ。
閉鎖的であり静寂であり、もしかしたら誰かが通りかかるかも知れない空間。
ある意味、普通の状態では出ない集中力が出るであろう。
描いた人間の深層心理というか、根本的な表現したい何かをだ。

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進化とカロリー

その進化は、かならずしも生存競争に有利に働くのだろうか?
スマートフォンになってから、特に電池の消耗が激しい。
では、生物の進化により、カロリーの消耗は激しくなったのか?

「でも、インターネットでしらべてみると、普通は二時間から三時間が一番多いようなんですよ~」
「おいおい、何だ知っているんじゃないか」

人間以外に関しては、多少はイエスだ。
だが、人間に関しては答えはノーだ。
文明の発展により、あまり動かなくても良いようになったからだ。
自動車や電車があるので、ほとんど歩かないのは、その典型的の例であろう。

「いや、なんていうか愚痴って見たかったんですよね」
「まあ…、気持ちは分からんこともないけど」

だがしかし、カロリーに関する弊害がないわけではない。
消費するというよりは、必要以上の栄養の過剰摂取による弊害。
そして、問題は単なる過剰摂取だけではない。
何といっても食品添加物や化学調味料であり、その有害性に関しての学会での論争は言うまでもない。
とはいえ、そういう私はジャンクフードが大好きだ。
我ながら、いまの考えていることと、この趣向は大いに矛盾している。

「でも、家とは違うところでパソコンをいじると思いもかけない発想が生まれると思うんですよ」
「たしかに家はあるいみ閉鎖的な空間だからね、外のどこかで色々と試す価値があるだろう」

それらにより、アレルギーや糖尿病といった現代病により弊害。
地球には、多くの種類の生物が存在するが、こんなの人間ぐらいのものであろう。

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進化と文化、そして弊害

さらに現代病の一つに「うつ病」というのもある。
昔の人は、うつ病になったのだろうか?もちろん、まったくゼロではないでろう。
しかし、うつ病の原因は文化が発展したことによる安定と現代社会特有のストレスの掛け合わせによるものだろう。
文化が発展?それは、動物のように食うか食われるか、食べ物や寝るところにも警戒などの心配ごとがなくなった安定感である。
それ自体は良いことだが、その代わりに「現代社会特有のストレス」が出てきてしまった。
これは動物にはないタイプのストレスであろう。

「まあ、外では無理なものとして、家でしか見れないような画像とかもありますけどね~。」
「ていうか、外でノートパソコンって、どんなことをしたいんだい?」

機械の進化にスマートフォンという言葉を使ったが、人間の世界に奇しくも、ちょうどスマホ症候群、スマートフォン病なるものがある。
一種の依存症である。しかも依存である自覚がほとんど無い依存症である。
ここで、機械の性能追加と人間文化の進化という、似たもの同士の奇妙な関係が生まれてくる。

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