印象効果での淘汰について仮説を立ててる。
意識の世界の物理と現実の世界の物理の境界が薄れている。
意識の世界のでは、インパクトが物量と結び付く。それにより無意識的な行動により、現実の世界で関わるものをインパクトのあったものを自分でも気づかないうちに選んでいる。
なるほど、多少強引ながらも「紅葉の写真」は辛うじて説明がつく。
それでは、無意識層が他の人間達と共有されていたら?
例えば、サイトの運営者やブロガーが無意識的にマリネに関しての事をキーボードに打ち込んでいるのだろうか。
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印象効果での淘汰の理由について仮説を立ててみた
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現実の世界での淘汰とは
そう、理由がない以上は現実の世界は動かない。
でも、意識の世界は動きだす、そりゃあそうだインパクトの強い記憶が多いのは意識の世界の常である。
つまりインパクトの少ない記憶は意識の世界では物量の淘汰にあうわけだ。
印象効果では、これに関して現実の世界の物量のコントロールはどのように行われたのだろうか?
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淘汰だけでは今一つ印象効果の説明ができない
しかしながら、淘汰だけでは今一つ印象効果の説明ができないのである。
コンビニの場合は「売れる商品に関して、より広く場所を使う」という列記とした理由が存在する。
でも印象効果には、そのような理由がなく、紅葉の写真のインパクトなんて現実動かす事は出来ないはずだ。
仮に出来るとしたら、理由が存在するはずだ。
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さらに淘汰を紅葉にの印象効果に置き換えてみる
そして、さらに淘汰を紅葉にの印象効果に置き換えてみた。
紅葉の写真は、ウォーキングサークルの活動中に撮影する事により、価値と淘汰の概念が存在した。
紅葉に強い印象が残ったため印象効果という価値が挙げあった。
そうなると紅葉以外の物事は、コンビニで言うところの売れない商品であり、場所から消えて代わりに印象効果の付いた紅葉が、その場所に増える。
こういったとこであろう。
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一番、簡単な考えかたで淘汰の順番を考える
Aが消えBが増え、それで終わりか?
新たにCが来てどちらか価値の低い方が消え、価値の高い方が増える。
次はDが来て同じ事が繰り返される。
とまあ一番、簡単な考えかたをするなら、このようになるだろう。
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淘汰を汎用的なものに当て嵌めてみる
脳内でコンビニでの淘汰が汎用的な部品と化していく。
例えばAがある。
次にBがある。
コンビニ空間を当て嵌めると、Bの価値がAの価値より上の状態であるのなら、Aは消えて消えてた場所にはBが来る。
この場合の「場合に来る」というのは、Bの元々あった場所のBはそのままなので、Aの元々あった場所にBが増えると言う意味合いでの場所に来るである。
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来るべくして来た疑問
コンビニの中の空間では、このような感じで淘汰の流れが進んでいく。
この空間が、より広がったり、汎用的になったりしたらどうなる?
この空間の淘汰の方程式は、規模や方向の多少の違いはあれど何処でも当て嵌まったりするものではないのだろうか。
このような疑問が来るべくして来たのだ。
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淘汰の縮図
そう、コンビニの一つ一つの店舗自体は狭い空間だ。
冷静に空間内に流れている変化を感じて、イメージを組み立ていくと、ある物の縮図が思い浮かぶ。
世の中の至るところで起って淘汰の縮図である。
ある商品が売れれば、他の競合的な商品は受注をせず、その空いた場所を売れた商品で埋める。
そして、少し時間が経つと別の競合的な商品が新たに置かれて、売れない方の物は淘汰される。
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コンビニ界の厳格なる淘汰
外側との競争は分かりやすいが、レギュラーコーヒーマシーン缶コーヒーのように内側との競争は複雑なしがらみがあり、ある意味厄介者だ。
コンビニ視点から見れば、どっちが売れても利益になるし、どっちが売れなくても損害となる。
そして、ここからが問題だ。
コンビニの空間は容量的な限度というものがある。
その空間は生命力の弱いものは消える仕組みとなっている。
売れ行きという名の生命力、販売スペースという名の空間。
売れてない商品を下げるという消える仕組み。
それはずっと昔からあった厳格なる淘汰であった。
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