部品を扱う技術

部品があるからには、扱わなければならない。
好ましい変化をしてくれた部品は、扱いが楽だ。
ほのぼのとした日光のなか森を散歩するように楽しいぐらいだ。
さてさて、注目すべきは、お約束の嫌な変化をしてしまった部品だ。
発見した瞬間に気が滅入ってしまう、他に色んなことがあり楽しいこともあるはずだが、それらが目に入らなくなってしまうぐらいに気が滅入る。
せっかくの10の好ましい変化も、1の嫌な変化で気分が台無しになる、それぐらいに嫌な変化というものは強力な変化だ。

しかも、簡単に捨てることは出来ない。

なんて事だ、ぽいっとゴミ箱に投げたいのは山々なのだが、それが出来ないのが嫌な変化をした部品である。
扱わなければならない、捨てることは許されない。
扱うには相応の技術がいる、そういう部品だ。
しかし、皮肉なことに現実は扱わなければいけない状態に陥っているため否応にも技術が身についてしまうのである。
そういう意味では、これ以上ない師匠であり先生である。
ところが、部品の変化の質によっては技術が身につく前にこちらが潰れてしまう可能性もある。
こうなったら、潰れる可能性を少しでも低くするのも手である。
では、どうするか?如何にして技術を身につけるかを考えていく。
まず1つ目は耐性を身につけることである。これしき変化のうちに入らねえぜ、と格好付けて強がるのである。
2つ目は、とにかく他人の前例を調べまくること。たとえば今はネットという最大の道具が実に手軽に使えるようになった、昔の人からすれば魔法のような力である。
3つ目は、行動をしまくる。色んなことを素早く多岐にわたり行い、新たなる発見を試みるのだ。
まとめると気にしすぎないこと、話したり聞いたりを多くすること、視野を広めて色々と行動をすること。
考えていて思ったのだが、話をする人が多ければ有利な気がする。
だって話す相手が多ければ「気にしすぎること」も薄れるし、知識を入ってくる、そして多くの意見が聞けるし何かの助けになってくれる場合もある。
しかし、常に一人で行動しているタイプの人間には、これに代わるなにか方法を考えなければならない。

もしかしたら、嫌な変化をしてしまった部品が目的の部品へと変化してくれる気もしてきた。

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変化する部品

「変化」というのは、実にさまざまな意味合いがある。
良い変化と悪い変化、望んだ変化と望ましくない変化、助かる変化と困る変化。
起こる変化の要因は、大きく二つに分けることが出来る。
能動的な要因による変化と受動的な要因による変化。

経験上で得たことを語ってみると、能動的な変化は良い、望んだ、助かる変化へとなりやすい。
受動的な変化は悪い変化、望ましくない、困る変化へとなりやすい。
前者は当然として、後者はちょっと納得がいかない。
そう重要なのは後者の受動的な変化をした部品である。

使えない部品と似たようなものであるが、それに力が加わったようなものだ。
つまりだ、使えない部品を輝かせるよりは骨が折れることである。
嗚呼、「匙を投げたくなる」とはこういう心境なのだろうか。
匙をどこかへ、ぶん投げて、はいお仕舞い。それ済むなら、どんだけ楽なことだろうか。
匙を投げたところで嫌な意味での変化は、戻ってはくれないという面倒な現実。
くそったれ、まったく余計なものだ。

こんな時こそ考えろ。

だよなー、なんともベタな台詞だが。
考えるしかない、もしこれが何とか出来ようなものなら、もう何も怖くない。
だって、嫌な意味での変化さえ味方につけてしまうのだから。
待てよ、それこそが部品をあつかうための「技」なのではないのだろうか。
「技」はどのようにして取得する?
誰か師匠や先生が居て教わるのだろうか。
今回の変化する部品、しかも嫌な意味で変化する部品の扱いについての技については師匠や先生というのは居ないであろう。
そう、変化はその時、その時での千差万別なのだから。自分自身で行動をして技を磨いていくしかない。
そこに面白さを見出せるのだろうか?好ましい部品だけでは得られない面白さと得るものである。
繰り返すが、この技を取得出来れば何にも動じることはないし、目的の部品さえ見つけなくても良い状況になるものと思われる。

さてさて、目的の部品に関しての思いも少しづつ変わってきたところだ

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使えない部品

そうこうしている間に、いろんな部品が見つかる。
良いのも駄目なのも、玉石混合とはこのことである。
石だとおもって玉だった時は良い、しかし玉だとおもって石だったときの落胆たるや。
そして、その後の予定に支障をきたすこともある。

しかし、部品の使いかたや角度、場所を少し工夫するだけで劇的な効果もある。
もちろん、その劇的な効果の副作用的なものも考慮しなければならないが。
「使えない部品」って実はとんでもない原石なのでは?
よくゲームとかにもあるよね、最初のうちはダメダメで、なかなか発展しないものでも、それを最終的に極めるととてつもない物になるみたいな。
少し考えてみたのだが使える部品というのは、最初から役に立つので、それ以上どうこうしようという発想などは余りない。
が、しかし使えない部品というのは、どうこうしなければ使えないので、やはり色んな発想でてきて化ける可能性がある。
すぐに諦めるよりは、いろいろ考えたほうが良さそうだ。
このように「使えない部品」とは何かとの出会いを増やしてくれるものである。

ところで、目的の部品はどこにある?
その目的は今となっても必要なのだろうか。

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物と物の縁

縁というものは予測ができない。
何にしろ「関わる」ということは縁があるということだ。
非科学的ながら、じつに妙なものである。
縁というのは、たいていが自分の思うようにいかない。

「なんで俺に限ってコイツなんだよ」

こんな縁が実に多い。
残念ながら多いのだ。
本当に実に残念なことに。
当然、俺に限ってコイツなのを残念がっても、違う縁に入れ替わるわけでもない。
こうなったら、逆利用をして役に立たせるしかない。
来てしまった嫌なことに関して、いかに逆利用をするかを色々と考えるのも一興。
場合によっては、その逆利用でしか得られない貴重なものもあるかもしれない。
この「逆利用」するための、あれこれ考えて実行する行動力こそが、良き縁を呼ぶ力である。

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別のもの

ぶひん、ぶひんはどこにある?
探すに探しまわったが、見当たらない。
目的の部品は見つからないが、他の意味で役に立つであろうものたちとの出会いがある。
これがまた、けっこう多いので不思議な感覚になる。
そして当初の目的でないものが思いもよらぬ箇所で力を発揮する。
ただし力が大きいものほど、注意が必要だ。
何故なら副作用的なものも大きい、なぜ効果が強いのか?必ず理由があるんだよ。
特に変わった珍しい特定の希少性の高い力、技ほど必ず何かがある。
その何かとは、特殊な力を発揮することの代価だからである。
さあ、目的の部品はどこにある。

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食べたいもの

どうしても、食べたいものがある。
ほんとうに食べたいが、食べることがなかなか出来ない。
「バタートースト」、これはメニューとしては決して珍しくない代物だ。
食パンにバター塗り、電子レンジで30秒ぐらいか普通は。
だが、その電子レンジには「バタートースト」というボタンがある、こいつをポチッとするだけでバタートーストが出来るわけだ。
しかも、驚くなかれ、このボタンを押すとレンジの中に入っているバターを塗ったトーストの熱さを温めている途中で感知して自動で、おいしくなるよう熱の量を調整するのだ!
焼きあがったあとの香りも幸せな気分にしてくれるほどである。
そのバタートーストを食べると力がでる、他の電子レンジでも試してみたのだが駄目だ。
あのレンジでしか、作れなかったんだ。力の出るバタートースト。
作った会社も閉鎖し、その電子レンジ自体も売っていない、ネットで調べても全然売られていない。
ただ、それを作るための部品は売っているとのことである。
友人はなんでも電子レンジを作っている場所に勤めているが、特注としてその部品を組みあせた電子レンジを作ってくれるという。
だが、その部品を探さなければならない。

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とつぜん変化した状況

まいった。
ある日をさかいに状況がいっぺんした。
ついに電子レンジが壊れた。
けっこう、お気に入りでこいつのおかげで、ずいぶんとを簡単においしいものが食べられたのに。
なにか、この電子レンジの故障をカバーする部品がないかと、さんざん歩きまわった。
大きなジャンクショップを無意味に歩きまわった。
目の前の珍しい部品拭きの前にずっと立ちなにを考えていたか、いつの間にカゴの中に入れていた。
電子レンジの部品そのものではないが拭くのには役に立つであろう、もっとも故障より復帰しなければ、いくら拭こうが意味がないが。
しかし、複数まわって探しても肝心の「部品」がない。
なぜに無い?電子レンジをつくった会社がもうないからだ。
そしてどうして電子レンジに執着するかだって?
この「電子レンジでしか作れないもの」があるからだよ。
電子レンジって料理をちんして、暖めるもの。
特に冷凍食品の解凍と温めに役にたつ、ポテトとかピザとか。
ピザなんて手軽に美味しそうに広がるチーズが熱々で出来たときにはもう、その日の疲れがどこかに飛んでいく。
あとはアイスコーヒーが旨ければ、これ以上の贅沢はないだろう。
さて、しょうしょう脱線してしまったが、その電子レンジでしか作れない…性格にはそれでしか温められないもの。
そして、それがなければ困る。かなり困る、どのくらい困るかというと仕事が出来なくなるほど困る。
仕事が出来なくなるほど困るって、どういったことだ。

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解決策

嫌な物事が起きる可能性が高いことが、予測されている。
このとき、どうする?
まずは、解決策を考えるべきであった。

しかし、この解決策について、ろくに動こうとしないことが多いかもしれない。
どういうことだ?
まあ、惰性で放っておく場合が多いが、それでも解決策を考え、そして行動しなければならない。

だが、実際どうだろう?
あらかじめ、考えはするが実際の行動がのろい。
なぜか?思い通りにいくのが困難だからだ。
だから「面倒くさい」これが大きな足枷となっている。
逆をいえば、「面倒くさい」を乗り越えれば解決ではないか。
そう、色んな視点から見ることが重要であり、塞翁が馬という言葉がふと出現した。

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悩みという厄介な生き物とは?

悩みの数が多い。
悩みに悩んで、悩みぬいて…。
一つの悩みが薄れてきたと思いきや、また一つ新しい悩みがやってくる。

厄日とはいうが、「厄日」で終わるのならば1日ってことだ。
いやはや、短いよね。
しかし、自分の場合は厄日が続いていく。
これって、どういう事だ?

ふと「悩み」に関して、よく分析してみた。
まず「悩み」による物理的な力は何もない、ぶっちゃけゼロだ。
もちろん、悩みの原因たる現実が未来に予測されるから悩むわけだが、悩みと現実は実は別物だと考えられる。
悩むと「悩みによるダメージ」と「現実によるダメージ」の2つを受けることになる。

「現実によるダメージ」は実際のダメージだが、悩みというのは気の持ちようで消せるんだなこれが。
そもそも悩んだところで、現実を動かせるわけでもないし、自身の気が病むだけだ。
気が病むということは、体にも影響をきたすということだ。病は気からとはよく言ったものである。

まず一つ、悩んでも自ら自分の身を傷つけているだけ。
そして、さらに予測される嫌な現実が百パーセント絶対なものだと、なぜか悩みが少ない。
もう少し考えると予測される嫌な現実が五十パーセント、つまり半々だと悩みが強い。
まったく人間は不可解な生き物だよ、どう考えても百パーセントの方が現実的なダメージが大きいのに、五十パーセントとかだと悩みがうんと強くなってしまう。
この部分が悩みという厄介な生き物の習性だ。
「どうなるか分からない」が悩みという毒性であり、現実に対しての解決策が曖昧かつ無理な可能性があるので五十パーセントとなる。

まだ分からないということは、突破口があるということだ。しかも百パーセントと五十パーセントの現実も上手く逆利用をして役に立つものにする方法もあるはずだ。
突破口や逆利用の方法を考えもせずに、五十パーセントの現実に勝手に悩んでしまうのは何でだろう?

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夜と妄想

夜だ。
夜は暗いというが、なぜ暗い。
太陽がないからか。
でも、ふしぎな事がある。
何かこう冴えるんだよね、夜のほうが。
夜行性ってやつ、なんか格好良くね?「やこうせい」。
ふつうの人達って昼に行動している、でも夜行性は夜に行動している。
ということは、昼に行動している人たちには発見出来ない発見が多くあるだろう。
いったい何だ?発見って。
それと同じように、ふつうの人達と違う行動をしていると、ふつうの人達では発見出来ないことに気づく。
だからさ、何に気づくんだよ。えっ?それは自分で経験しなよ。
どうしてかというと、発見はその人によっての行動の結果だろ。
ぐだぐだだな。
ためしに行動をしてみるか、そう妄想を書いてみたりね。

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