「変化」というのは、実にさまざまな意味合いがある。
良い変化と悪い変化、望んだ変化と望ましくない変化、助かる変化と困る変化。
起こる変化の要因は、大きく二つに分けることが出来る。
能動的な要因による変化と受動的な要因による変化。
経験上で得たことを語ってみると、能動的な変化は良い、望んだ、助かる変化へとなりやすい。
受動的な変化は悪い変化、望ましくない、困る変化へとなりやすい。
前者は当然として、後者はちょっと納得がいかない。
そう重要なのは後者の受動的な変化をした部品である。
使えない部品と似たようなものであるが、それに力が加わったようなものだ。
つまりだ、使えない部品を輝かせるよりは骨が折れることである。
嗚呼、「匙を投げたくなる」とはこういう心境なのだろうか。
匙をどこかへ、ぶん投げて、はいお仕舞い。それ済むなら、どんだけ楽なことだろうか。
匙を投げたところで嫌な意味での変化は、戻ってはくれないという面倒な現実。
くそったれ、まったく余計なものだ。
こんな時こそ考えろ。
だよなー、なんともベタな台詞だが。
考えるしかない、もしこれが何とか出来ようなものなら、もう何も怖くない。
だって、嫌な意味での変化さえ味方につけてしまうのだから。
待てよ、それこそが部品をあつかうための「技」なのではないのだろうか。
「技」はどのようにして取得する?
誰か師匠や先生が居て教わるのだろうか。
今回の変化する部品、しかも嫌な意味で変化する部品の扱いについての技については師匠や先生というのは居ないであろう。
そう、変化はその時、その時での千差万別なのだから。自分自身で行動をして技を磨いていくしかない。
そこに面白さを見出せるのだろうか?好ましい部品だけでは得られない面白さと得るものである。
繰り返すが、この技を取得出来れば何にも動じることはないし、目的の部品さえ見つけなくても良い状況になるものと思われる。
さてさて、目的の部品に関しての思いも少しづつ変わってきたところだ